他の方のコメント欄に書いたこと(地震関連など)

最近は自分から何か考えて書きたくなるというよりも人の書いたことに反応したくなる方が割合としては多い。

なんか注釈をつけようかと思ったけど、そうするとまた時間がかかるので最小限に。(と思ったけど長くなってしかも後半くだ巻いてるみたいになった。)

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/comment?date=20041029#c
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20041029#p17http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20041028#p3などへの反応。

finalventさんおはようございます。本、たしかにきっといいですね!あわただしい状況が一段落つくと、漫然と時間が過ぎていくのがなかなか辛いんじゃないかなあと漠然と思っていたところでした。誰かと関わることで楽になる部分はカウンセラーの派遣などが役に立ちますが、人と関わらないですむことで楽になる部分に、本、とてもよさそうですね。
朝日新聞のこういった論調は、美しい物語を思い描いていたいというある心性?を代表しているんじゃないかと今ふと思いました。私自身にもそういう面はありますし、そうした心性を一概に否定したくもないのですが、そういう(物語への)期待が、相手に対してひどい負担になったり失礼だったり、あるいは無益だったりということも多いのでしょうね。

自分のコメント後半を見直してみて、これは「美談」への警戒かなと思った。奇跡や美談に頼るよりも、現状で可能なことはシステム上当然実行されるようになっていなければいけない。人命の救助にせよなんにせよ。それができていないのは……少し話がずれたな。まあ現状届かない部分は個人の善意(だけ)が頼りになるし、またその力を私は信じてもいる。
「カウンセラーの派遣」と簡単に書いたけど、狭義の「カウンセラー」にとどまるものではないな。いわゆる精神的ケアの専門家というか。


あとなんだっけ。
http://d.hatena.ne.jp/unmonoko/comment?date=20041028#c

はてな新潟中越地震「現地発」情報を見て、食べ物だとかうまく行き渡ってないんだなあと思いました。ロジ担だれや。がんばれ。

ふだんから、災害時にうまく情報の集約などができるようなシステムを構築しておくべきだし、それが十分に機能していないとしたら国か自治体の怠慢かもしれない。ロジ担だれやと。でも起きてしまった以上、現場の一人一人の努力に任されてしまっている。がんばれ、と私が言わなくても必死にやってることでしょう。応援しています。


南野法務大臣みたいに、寝ずに勉強(「すごいよ!マサルさん」の「寝ず勉」!?)とかいうのはまた別の話。どういう仕事かは最初からわかっていたはずだし、なぜ専門外の分野の大臣を引き受けたかも謎(女性枠?)。努力の方向性を間違えていると思う。
私がなんかの間違いで知らない分野の国務大臣になってしまい(!)、しかも大きなミスを犯したら、寝ずに勉強するのではなくて、恥をしのんで適任者に席を譲るよ。恥をしのぶための努力をする。向き不向きがあるし、周りに迷惑をかけるから。そもそも知らない分野なら就任を断る。そんな程度のレベルの話ではないんですか?まあいじめたくはないけど。

なんか短く書こうとしてもやっぱりこうやってどんどん付け加えたくなってくるのでこのへんで。ていうか既にずれすぎ。

 「偽善」の意味、忌避すべき偽善とは

あまり練っていると結局書けなくなるので急いで簡単に書いてしまおう。ていうか公に発言することにあまり関心がなくなったので、自分のための覚え書き。


あなたは偽善者ですか?という極東ブログの記事


おおむね賛同


匿名で悪を行なうことは偽善だろうか。

匿名というのは結局、その行為の報いを身に受けないでいようというもの

匿名の善行は、善い行いの報いを身に受けまいとするもの。これは「よい」。よいことをして、しかもそのよいことによる称賛なども得ないでいようとしているその禁欲的?な態度、二重によい

行為/主体の峻別

匿名で悪いことをするのは、悪いこととわかっていてしかもその報いを受けまいとするもの、だから普通の悪ではないか

では匿名でなく大っぴらに悪いことをするのは?私はこれを偽悪と呼びたいし、悪よりも「悪い」在りようだとも思う。ここで宅間死刑囚のことを思い出す。

悪いことをして何が悪い、とばかりに開き直って(後略)。自分を取り繕う事への嫌悪を根としたもの。自己嫌悪も含む。また「いいかっこしやがって」という憎しみから。いわゆる悪や悪人とはこういうプロセスを経て形成されるのかもしれない(今シレッと「悪人」という概念を持ちだしたが、そもそも純粋な概念としての「悪人」というのが現実に存在しているのかどうかについてもいろいろ思うことはある。一般的に悪人と呼ばれるような人はもちろんいる)。


同記事のコメント欄を見て:偽善者でもいい、と開き直るとき、どのような偽善者でもいいのか(どこまでも開き直っていいわけではないし、そこで「偽善」という言葉による誤解をしてはいけないだろう。誤解というか、自己規定や決意表明の言葉が不適当なせいで自らをミスリードしてはいけない)

偽善者の定義は些末なようで本質的な問題(どういう姿を自分は忌避すべきか)


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(その前にもう少し整えてから)