顎関節症関連、見て回った結果のごく大ざっぱなまとめ

すみません、昼に帰ったら顎関節症についての錯綜した情報をまとめたいと思いますと書きましたが、かなり簡単になってしまいそうです。
大ざっぱにいうと、Mさん(id:harukasao)のところにコメントで書いたとおり

私もかなり改善しましたが顎関節症です…。森高千里みたいに美しい人がなるものだと思うようにしています(笑)
以前調べて、・下あごの位置を三次元的に(左右・前後など)自然な位置にするよう意識する(顔の筋肉全体が一番リラックスした状態かな)・顎に力を入れない(唇は閉じたまま、やや口を開き気味にするぐらいで)・ガム療法・舌の運動 みたいなことを心がけたら、かなり痩せて顔も小顔になりました☆
歯列矯正顎関節症は上手くて良心的なところに行かないと、かえって悪化することも多いそうなので、MさんやYさんも気をつけて選んでくださいね。

ということですが、もう少し具体的に書きます。


以前あちこちの歯科医のサイトを見たのですが、言っていることがそれぞれ違ったりしてよくわかりませんでした(自信を持ってお薦めといえるサイトがなかったのでリンクも張らないでおきます)。

とりあえずわかったところを箇条書きにすると、

  • スプリントやバイオプレートは、強く勧めるサイトもあるし「効果がない!」と言い切るサイトもある
  • ガム療法(左右のうち噛み癖がついた方の顎で小刻みにコンコンコンと10回噛み、反対側の顎で同様に20回噛む、みたいな)を否定しているサイトは見あたらなかった
  • 顎が緊張しているのが原因だから、顎の力を抜くようにする、ということを否定しているサイトも見あたらなかった
  • 歯の矯正や虫歯の治療が原因で顎関節症になるケースが日本では多い、という指摘がいくつかのサイトでなされていた
  • 全身の歪みと連動している、ということも一応確からしく思えた
  • 横向きで寝ない、少なくともいつも同じ方向を向いて寝る習慣はやめる、という指摘もおおむね共通していた
  • ストレスが一因となっている場合があるが、すぐストレスだけのせいにする歯科医は止めた方がいいという指摘がいくつかのサイトであった
  • 「治療後にかえって噛み合わせがおかしくなり、悪化した」と何度言ってもとりあってもらえない歯科医に遭遇した、というような体験談があちこちのサイトに見られた
  • 下顎の位置が重要で、その位置を調整するための手法がいくつかあるという感触を得た。あとは既に発生してしまった筋肉のこわばりの対処の問題だろうか

だいたいそんな感じです。

 死への恐怖と『職業としての学問』のレビュー

なんか眠いけど、帰りがけに少し考えたことなので書いてしまいます。


バカの壁の養老氏の死の壁を読みました。死への恐怖、自分がなくなることへの恐怖を取り除くことできるものを探しています。 自分次第ですけどね。セラピーみたいなものでもかまいません。という「人力検索はてな」での質問。

id:finalventさんは「ない。」と簡単にお答えになっているし、私もそれに賛成ですが、もう少し丁寧に答えてみるとすれば。


「死への恐怖、自分がなくなることへの恐怖を取り除くことができるもの」を強いて何か挙げるとすれば、ドラッグでしょうか。「昔取った杵柄」ならぬ「昔飛んだ窪塚」(テレビの土踏まずというサイトで見た表現だっけな)を思い出させますね(もちろん墜落事故の真相はわかりませんが)。

一応念のために書いておくと、当然私はドラッグで恐怖を取り除くことはお勧めしません。

いま別の回答を思いついたけど不適切なのでやめておきます。うん。


形式的に挙げるのではなく質問者の意図を汲んで考えると、「死への恐怖、自分がなくなることへの恐怖」に対しては、取り除こうとするのではなく、その恐怖に耐えることのできる強さを自らの内に育もうとするのがよいと思います。このあたり言い回しが難しいのですが、問いの立て方の問題ではないでしょうか。


では、耐えられる強さを持つためにはどうしたらよいか?


さあ、そこは私が簡単に回答できる範囲を超えた問いです。一生をかけてじっくりその問いと向き合っていかなければならないのでは。


そういえばつい最近読んだマックス・ウェーバーの『職業としての学問』(ISBN:4003420950)の一節にはこうありました。トルストイについて述べた後に続く文章です。

かれの頭を悩ました全問題は、結局、死とは意味ある現象であるかいなかという問いに帰着する。かれはこれに答えて、文明人にとっては−−いなである、という。なぜかといえば、無限の「進歩」の一段階をかたちづくるにすぎない文明人の生活は、その本質上、終わりというものをもちえないからである。
(中略)
一般に古代の農夫たちだとかは、みな「年老い生きるに飽いて」死んでいったのである。というのは、かれらはそれぞれ有機的に完結した人生を送ったからであり、またその晩年には人生が彼らにもたらしたものの意味のすべてを知りつくしていたからであり、かくてついにはもはやかれらが解きたいと思ういかなる人生の謎もなく、したがってこれに「飽きる」ことができたからである。


まあものすごく偉い学者の先生もこうした問題に頭を悩ませていたのですから、死への恐れは人類(あるいは動物、さらには植物も)に普遍的なものだと考えてよいと思います。

で、ウェーバーがこの問題にどう回答しているか?

私が読んだ限りでは<以下のような姿勢で生活を送りなさい>と答えているように思えます。


つまり、<神秘主義に陶酔するのでもなく、何かを待ちこがれるのでもなく、淡々と日々するべきことを為せ、何かについての教師を求めるのはよいが安易に(精神的)指導者を求めるな>ということをウェーバーは言っているように思えます。


『職業としての学問』のレビューを兼ねておきますが、気が向いたらまた触れるかもしれません。

 なんとなく、ロシア事件をフォロー

今の時点で、ロシア学校占拠事件のGoogleニュースにおける関連ニュースのリンクはここGoogleニュースの仕組みがよくわからないので今後アドレスが変わるかも。

なおGoogleニュースのアドレスはhttp://news.google.co.jp/ここです。あちこちの報道機関のニュースに自動的にリンクを張るシステムを構築している模様。

 田中ンポ!

ある方と「大将」「若大将より青大将」という会話をしていてふと、田中邦衛に想いを馳せました。


今は亡きナンシー関に「ズボンをついつい裾上げしすぎてしまうらしい」と暴露される田中。
食べる前にノム、とタキシードで声を張り上げる田中。
ノムさんの前にノムさんなし、ノムさんの後にノムさんなし。
いや、ノムラの後にノムラはできる(高村光太郎風に)。
いわばノムラがえりだ。こむらがえりではなく先祖返りに近い。ノムラの黄泉がえり。人間に似た空想上の種族にエルフなどと並んでノームという種族がいるが、遡ると一人のミトコンドリア・ノムに行き着く。太陽がいっぱい、ノムラがいっぱい。みんな並んで整列だ。(ここで私が述べているのはカツノリ選手のことであるのに注意していただきたい。)


ついノムラに話が逸れてしまったが、私が申し上げたいのは田中邦衛を愛しているということだ。邦衛のことを想うとつい口がとがり、右に寄ってくる。
邦衛が「カンポ!」と叫ぶとき、きっと彼の頭の中には遙かなるブラジルの草原がいっぱいに広がっているのだろう。(注:カンポセラードとカンポ


それからもう一つ、申し上げたいことがある。最近、私のギャグのキレが悪いということだ(読めばわかるか)。

 夢がMORI MORI

森博嗣の話題で「森」上がってますが(コメントへのレスはしばしお待ちを)、帰ったら顎関節症についての錯綜した情報をまとめたいと思います。歯科医によって言ってることがかなり違うので、その違いと最大公約数的な対処法など。

情報の錯綜といえば、さっき更新直後にロシアの学校立てこもり事件について簡単に調べたところ、

  • 人質は400人ほど、そのうち約半数が7歳から17歳の生徒
  • 死亡人数は4人とも8人とも全員無事ともいわれている

という感じでした。

そして今CNNの見出しを見たら、現地当局者の話として16人死亡とのこと。

数値そのものが問題とはいえないけど、現在進行中の大きな事件なだけに事態の推移は気になります。

プーチンチェチェンに対する姿勢からすると、前の劇場での事件のときみたいに強行突入しそうだな。
ストックホルム症候群を差し引いて考えても、犯人たちよりむしろ突入した部隊による被害が大きかったと聞く(人質を巻き込んだ化学兵器の使用など)。
今回についてもロシア当局による情報操作を差し引いて考える必要があるな。

当り前のことを言わせてください。できるだけ人が死なないですみますように。犯罪に訴えなくても、利害が対立する当事者の間で円滑なコミュニケーションが可能になりますように。
今回の犯人グループは死刑の手続きも経ず即殺されるだろう。やむを得ない。やむを、得ない。

 次に読む本とノムラとロシア

次読むのは、『理解社会学のカテゴリー』(ISBN:4003420918)著者名表記はマックス・ヴェーバーウェーバー。プロ倫は後回し。化粧回しで皿回し。

しかし『職業としての学問』(ISBN:4003420950)読み終わったのにレビューがまだだ。
内容の要約なら裏表紙をまるごとバナナすればいいし、感想は凡庸になるし、レビューってどうしてもむずいな。

他の著書や書き手の話とリンクさせればいいか。著書ねこ。チェシャねこ。


帰ってから、田中邦衛とブラジルの草原とたくさんのノムラについて書きます。メモがふくらみすぎた。

今言えることは「ノムラたち」と「炎立つ(ほむらたつ)」は似ているということ。おめたづ待っとれな。

もし、世界が100人ノムラだったら……?と想像しながら待っていてね。


私はそんなことよりロシアの事件が心配です冗談抜きで。朝Googleニュースでざっとみたら、たしか子ども200人ぐらい人質にとってなかった?そのあと4人ばかり死んでなかった?詳しくは各種ニュースサイトで確認してください。

 へんないきもの、汝の名は人間

へんないきもの』(ISBN:4901784501)を読んで、またたまにトリビアの泉を見ていて、生き物が生殖のためにかける凄まじいエネルギーには毎回軽い驚きとともにやや不快さを感じる。
孔雀のオスの羽根の美しさが(ただの)セックスアピールだというのはよく知られた事実だが、それはまだかわいいほうだ。
鼻を性器に似せて奇妙な形に発達させ、交尾の相手に食らわれ、腐った肉の匂いを発して媒介する昆虫を引きよせ……
凄まじさを示すのにもっとふさわしい例がたくさんあったが、思い出しても内容的にちょっとここには書けないだろう。風にのって飛んでいくたんぽぽの綿毛さえまあ生殖・繁殖行動の一環なわけだ。

軽い驚きと不快感を感じると人は対象を「下品」と呼ぶわけだが。

フロイトが理論の重要部分に「性」を据えていることには「なんでも性で説明すんな」と拒否反応を示す人が多いが、生き物の中で人間だけが性の軛から自由なわけはない。軛と呼ぶか、人を駆り立てる情熱と呼ぶかはまったく話者の自由だが、いずれにせよ深く組み込まれたものであることは否定できない。この「深さ」にその分野でなんという述語をあてているかは忘れますた。
そしてここでいう性は、一般的な意味よりも根源的な概念だ。自他の個体としての存在価値に対する評価にも固く結びついているように見える。

私たちはこの性衝動という猛獣をなんとか飼い馴らし昇華させることに取り組まないといけないのだろう。
その取り組みは、必ずしも意識的に行わなくても、文化という長年人類が用いてきた装置によって可能なのかもしれないが、抑圧され隠蔽されてきた性欲があちこちで(下品にに、あるいはおしゃれに)あからさまに噴出している今日では、ひょっとしてひどく困難なことなのかもしれない。
少なくともその責任の重心は共同体から個人の手に移っており、そして昇華せずにそのままの形で性欲を消費するという誘惑が容易になったと言えそうな気はする。

昔から性は自由だったという言説も事実ではあるだろうが、医学の発達にもかかわらず、各種の性感染症がはっきりした自覚症状のないままひそかに広く蔓延しているという統計は無視できない。

あまり報道されないが、今回のオリンピックで選手や役員に配布されたコンドームの数はたしか百数十万個だったと思う。これまでのオリンピックの経験から、運営側はそれだけの数が必要と判断したようだ。便宜よりも無論、一義的にはHIV対策のためだ。

追記:確認したところ、共同通信から配信を受けた毎日新聞によると「13万個」だそうです。「百数十万個」って、どっから来たんだ?携帯電話から確認せずに投稿しているので「思う」と留保を付けているにしても、数多すぎ(笑)
13万個は過去の五輪での使用実績から算出したという。とのこと。一人あたり7個強ですね。補足でした。