「ヒトラー暗殺未遂事件、実行グループの最後の生存者死亡」とのこと

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200805020042.html

 ボンヘッファーのことを思い出した。


上述したように、ボンヘッファーガンジーから影響を受け、非暴力の抵抗を理想と考えたが、当時のドイツは限界状況にあり、違法な手段以外に選択肢はなかった。ボンヘッファーは、ある一定の状況においては殺人が善でありうると主張したのではない。殺人は悪であり、神の審きの対象であることに変わりはなく、マタイによる福音書26章52節にあるように、「剣を取る者は皆剣によって滅びる」のである。しかし、隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が彼の時代には必要であるとボンヘッファーは考えた。


良心は葛藤を避けるために自律を放棄して他律に陥り、それが当時のドイツではヒトラー崇拝という形をとったとボンヘッファーは見なした。

 葛藤はあっていいというか、葛藤がなければそれは良心ではないのかもしれない。当時のドイツと状況は異なるにせよ。