内輪の毛づくろいと情報の大海

[ネット世界]最近思ってたことを延々と綴るよLST-another sideより)

 私も読冊日記のその部分を当時読んで似たような感想を持ちました。
 それよりも前に(読冊日記だったか忘れたけど)他の箇所で「インターネットは関心を広げない、違う考えの人と出会ったりしない。タコ壺のようにそれぞれが関心のあることを調べ、同じ関心のある人とだけ知り合う」みたいな文を読んで、そうだなあと思った(もっと的確な表現だったのだけど忘れてしまった)。まあ実際には私は関心の範囲を広げてもらったと思っているし、程度問題ではありますが、基本的にはそう。


 それとは別の話として、以下にも共感。

いやだって、私が興味のある社会問題とかについて本気で熱く語ったり*4しようもんなら、すぐに皆会話から降りそうだもん。ていうか、そういう空気がひしひしと伝わってくる。取り敢えず北海道でもそこそこ頭が良い(らしい)学校に通っている人間でも殆どがそうなんだから、他はさもありなんでしょうな。

 こういうのは最近特に強く思う。これは、「社会問題について発言する人はもう確固とした考えが頭の中にできていて、人の話を聞く余地のない、話が通じない相手だ」という先入観が世の中にあるからかもしれない。そして実際にその先入観があたっていることが多いから、まともに話す(聞く)姿勢のある人がいちばん損をしている。
 参加型ジャーナリズムがどうとかいう昨今の議論の前提として、うなずき合い以上の会話をすることがいかに難しいか(外国は知らないけど、少なくとも日本では)。ネットでも、建設的な議論をできている人たちというのはほんの一部分。あとは感情的な相手の人格に対する非難・攻撃がほとんど。そのレベルで話す限り、「あいつは格好つけて知識をひけらかしているが幼稚だ」「いやそういうことをいうお前こそが、どう見えるかにこだわっている」という次元に終始して、みんなが消耗して終わるだけ。


 でもなあ。毛づくろいとしての感情交流に終始しているのは、なんだか不気味(引用されている読冊日記を改めて読んで)。ウバガワとかもそのあたりの話だな。見下しているとか自慢していると思われないために卑下してみせる(姥皮をかぶる)ことが不可欠とされる人間関係。ある意味での「思いやり」だけが発達していき、そういう「思いやり」を示さない人は「空気読め」と言われ排除される。
 時代が何歩も逆戻りしているんじゃないか。時代というよりも……うーん。マズローの欲求の段階の話を思い出す。そんなにみんな寂しいのかな。