紳助もんだいと対話と問題解決のプロセス

殴ったとか髪を引っ張ったとか、唾を吐きかけたとか、それは唾が飛んだだけかもとか、事実関係には疑義があるようなのでおいておくとして。

(簡単にいって)紳助のやり方を非難する立場

異文化を排除すると異物が実体化する圏外からのひとこと

異物の存在は、自分に対するチャレンジである。異物と対話する為には、頭とこころを両方フルに使う必要がある。恐怖を感じ暴力で反応したら負けだ。逆に相手に同一化しても負けだ。自分と異物は違うのだから、異物を全面的に認め相手に同一化して自分を排除しても、それは最終的には同じように恐怖と暴力につながるから、やはり負けだ。相手との違いを認め、相手の存在と自分の存在を共に認めた上で、言うべきことは言い、注意すべきことは注意するという対話ができてはじめて、勝利である。難しいけどチャレンジしがいのある面白いゲームだと思う。

essaさんのこうした視点は、他の記事と照らし合わせて読むと、日中間の歴史問題、テロ、アメリカ内部の政治的な対立、高遠さんの頃の人質問題など、多くの局面を視野に入れて語っていらっしゃるように思えて私には説得力が感じられる。

(簡単にいって)紳助に同情的な立場

他方で、[ニュース]紳助おすましエプロン)の視点も興味深いものでした。

なんというか、「結局まともな思考力のある方が負けるのか」的な感情。

今回の件で暴行のきっかけになった事については女の人の方にも非があるのは明らかで、それに対して暴力(この程度も不確かですが)という手段に出てしまった紳助さんにはそれなりの反省やら謝罪やらが必要でしょうが、一旦落ち着くとか周り(会社)に話をつけるよりもまず先に部屋を出るやいなや警察呼んで病院に駆け込んで裁判に持ってっちゃった流れんばかりのこの動きについては「なんだかなあ」と思わずにいられない。この人は以前にも嫌煙権を主張して会社の同僚相手に裁判を起こされた事があるようで、そういう人だったんだろうなとも感じてしまうのですが。

私が知っている範囲では、「女性が社外の人に対して、吉本の幹部のことを敬称を付けずに話していたら(これは当たり前のこと)、女性が同じ吉本と知らなかった紳助が激怒。同じ吉本と知って余計に激怒」というわけのわからない経過なので、女の人にも非があるのは明らか、とまでは今のところ断言できない気がしました。

山田さんはきっと、「自分の側の理屈を主張して譲らない分からず屋みたいな人」は困るなあ、という思いがあったのだろうと思うし、そのお気持ちはよくわかります。困った人っていますもんね。ただこの事件は、逆に、紳助の方が、自分の側の理屈が正しいと(ちゃんと話を聞く前から)思い込んでいて、自分の理屈が通らないことに苛立ってやったようにも思えました。


この点は[TV] 紳助さんの暴行事件で考えたことおれはおまえのパパじゃない)の方にもう少し顕著に見えました。

どうしようもなく無礼な人間というものにどうやって対処したらいいかということが問題で、紳助さんの場合は封建的な日本的な説教文化を背景にガツーンとかましてみたら、相手が帰国子女でアメリカナイズされてて権利の主張とかがすごい人で、それが全然通用しなくて頭に血が昇って暴行しちゃったということなのかなと想像した。印象としてはこういう無礼人は確実に増えてる気がする。

簡単に感想を書くと、「無礼人」とレッテルを貼る対象が違うような気がするんですよね。どうしようもなく無礼なことと、権利の(正当な)主張をするということは全然違うし。

電車内でタバコを吸ってるバカに注意したら逆ギレされて刺されたとか理不尽がまかり通る世の中なので、マジ、こういう輩への対処法は重要だと思う。

というのは、内容はその通りだけど、批判を向ける対象があべこべというか。逆ギレして暴行を加えたのは紳助(「ぼくが100%悪い」という言葉を信じるならば)。

じゃあ本当に割を食ってるまともなシトはいったいどうやってストレスを発散すればいいのかと思う。

この気持ちはよくわかります。それが「無礼な人間はとりあえず殺っちゃう。そして食っちゃう」というハンニバル・レクター博士は実に痛快です。という冗談にも繋がるのでしょう。けれど(極端な事を言うようですが)、それがまさにテロリストの発想なんですよね。

つまり自分の思い通りにならない、自分とまったく違う考えの人がいたとき、また自分が不当にないがしろにされていると感じたときどうするか。一線を踏み越えた人に同情はするけれど、一線を踏み越えるのはまずいし得策ではない、という視点が異文化を排除すると異物が実体化するという記事なのでしょう。

思い出したこと

では自分の考えが否定されたり、自分が理不尽な扱いをされたときは、具体的にどうすればよいのか。ねばり強く議論し続けるなんて、そんな根性も技術もないよ。日本人だからディベートなんて得意じゃないし。しょせん声の大きい方が勝つんだから。と思われる方も多いでしょうね。

と、ここでwebやぎの目にあった以下の文章を思い出します。
http://yaginome.jp/yagicolumn20.html 2004.8.2 mon 15:14

結局、手続きができる人がいちばん強いんじゃないかと思う。

過去に罪を犯してしまった人がお遍路をする。そんな、外を歩いてないで補償の手続きをすればいい。暴力に屈してしまった人が体を鍛える。そんなこといいから被害届を出すべきだ。借金返済のために銀行強盗をする。自己破産の手続きしなさい。

手続きのめんどくささに負けて、解決しない方法(けど辛いから解決した気になる)に走るのではないか。でも、どんな技より「手続き」が強い。

そう思うと僕もめんどくさくて絶望的な気持ちになります。でも、手続きだけで解決するウルトラマンは見てみたい。

この文章はよく思い出す。今後もまた別の文脈で紹介することがあると思います。


私の中にこの視点があるから、あいつはすぐに訴えるなどと言われている女性のことを悪く思えないのかもしれません。社内のねばっこい人間関係の中で、根回しやらで自分を守れといわれても無理でしょ。彼女のように毅然とした対処をできずに、泣き寝入りをしてきた人がなんと多いことか。たとえば高塚(元)社長からのセクハラとか。


裏返しにいうと、困った事態を解決するために作ったもの、それが法律であり、手続きなんだから。


暴力よりも話し合いで解決、それができないときは法律や手続きで、という当たり前のお話でした。

 walking tourというFlash

walkingtour

不覚にも泣いた。
必ずしも同意はしないけれど


あと場合によっては、これは(統計的にみて一定の割合の人の)自殺を誘発するかも。

こういうのは「宗教じゃない」といっても一定の価値観・世界観である以上、「この作品ははっきりとした組織的背景を持たない」というような意味しかないと思った。ナウシカが宗教だといえるのと同じような意味で宗教。

こうしてけちをつけたくなるのは、感動的な作品だからです。


あと著作権法上の問題は当然ある。アルファベットで6文字の噂の団体がやってくるぞ〜。

 言ってみたいセリフ


これはプロの仕事でござるな。」


今、「ござる」って言った?
という疑問を差しはさむ暇も与えないほど、あまりにもナチュラルに発してみたい。発したらそのまま次に行ってみたい。


忍者、武将、ルパンの五右衛門、ただのバカ。シーンに即応して装いも変幻自在。(どんな人の雰囲気を真似して言うか、融通を利かせるってことね)